ビルドンブンコ

趣味で書いた小説を保管する場所

今日も正座で

「まあ座ってよ」と彼は一枚の座布団を床に敷いてくれる。

 彼の家には椅子がない。なぜ椅子を置かないのと、訊いてみたことがある。

「机がないんだから、イスを置いたって仕方ないでしょ」と彼は答えたけど、私が言いたかったのは、そもそもどうして机を置かないの、ということだった。

 でも「机がなくても生活に支障ないから」という答えが返ってくるのは火を見るよりも明らかだった。

 だから私は毎回彼の家に来るたび、言われるがままに腰をその座布団に落ち着かせる。堅苦しいけど正座。初めてここに来た時もこうやって、改まって正座してた。座布団にはそういう力があるみたい。

 夜になって、そろそろ帰ろうと立ち上がろうとすると、案の定、足がしびれてて立てなくて、彼に手伝ってもらった。

 手を握って、上に引っ張ってもらった。手をつなぐときはいつも私からだったから、彼が急に私の手を取ってくれて、嬉しいやらびっくりやら、きっと変な顔になってたと思う。

 そのときの「立てる?」って彼の声は私の脳内レコーダーに録音されたみたいで、夜、一人ベッドの中で思い起こしてニヤニヤしちゃえる。

 バカみたいって思われるかもしれないけど、恋愛ってそういうものだよね。他のものが見えなくなるから、今がこれまでの人生で一番幸せだって、彼と出会ってから毎日思ってる。

 彼はいま台所で夕食を作ってくれてる。私はそれを正座で待つ。

 今日は何時に帰ろうか。

 何度もここに遊びに来るうちに、すっかり正座にも慣れちゃった。

 彼は「楽にしてていいよ」って言ってくれるけど、私は正座を続けるつもり。

 だって、もし足がしびれたら、優しい彼がまた私の手を取ってくれるから。