ビルドンブンコ

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ニンジン抜き

 私の彼はニンジンが苦手だ。

 だから手料理を振る舞う時はニンジンを使わないようにしている。

 けれど彼がそのことについて感謝を示したことはない。

 でも、うっかりニンジンを入れてしまったときは怒る。

 理不尽だな、と思わなくもない。彼のこともそうだけど、「目に見えない気遣い」が感謝されないことが何よりも理不尽だと感じてしまう。私はこんなに彼のことを考えているのに、そのことを気づいてもらえない。

 もし気づくとしたら、彼が私と別れて、他の女性と一緒になった時だと思う。その女性と私を比べて、初めて気づくことがたくさんあるだろう。だからって、彼がまた私のところに戻ってくるとは限らない。また他の女性を探すだけかもしれない。いや、きっとそうだろう。

 だから別れることはできない。

 今の私にできるのは、手料理を頬張る彼を見つめることだけ。

 本当はニンジンが入ってた方が歯ごたえがあっておいしいんだけど、あなたのために入れなかったんだよ。気づいてる?

 なんて、心の内で問いかけながら、ただただ見つめる。

「うーん、美味しいんだけど、なんか足りない感じだなー」

 付き合い始めのころは美味しい美味しいと、何一つ文句を言うことなく手料理を食べてくれていた彼だけど、最近はそうでもない。距離が近くなった、遠慮がなくなったと、そう考えればいいことではあるんだけど。

 足りないのはニンジンだよ。あなたはニンジンが苦手だから、入れなかったんだよ。

 そう教えてあげれば、彼は感謝してくれるだろうか。

 それこそ付き合い始めの頃なら、してくれたと思う。

 距離が近くなった、遠慮がなくなったってことには、そういう弊害がある。

 私だって、ちょっとしたことで彼に対して「ありがとう」なんて口にしなくなってきている。

 他のカップルはどうなんだろう。

 そう考えることが最近多くなった。異性と付き合うって、こんな感じなのか。正直に言って、思ってたのと違う。もっと、少女マンガみたいな甘い恋愛までは期待してなかったけど、それでも、もう少しロマンティックなものだと思っていた。

「別れよっか」

 私に向けられた彼の驚いた顔を見て初めて、私が何を口走ったのか気づいた。驚いているのは私も同じだった。

 こういうのは、もっと悩んで悩んで、友達に相談とかして、もっと場所と時間と雰囲気を調整して話すこと、だと思う。少なくとも、こんな唐突なものじゃないはずだ。

 けど、すごく清々しい気分だった。皮肉なことに、彼に告白してOKをもらった時と同じくらい、心が空いていた。

 そして私は口にする。食べかけの料理が乗った皿を指差して、ずっと言いたかったその台詞。

「ニンジン入れたら、もっと美味しいんだよ」