ビルドンブンコ

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ノミソラツブサガリスト

 突然切り出された別れ話に何も言えず、きっとそんな俺の態度が気に入らなかったのだろう、と妙に納得も出来た。口を開かずに茫然としている俺に見切りをつけたようで、窓を開けると、今となっては元彼女の麻衣は空へ飛び出した。

「麻衣、待ってくれ!」と今さら声を出して俺は彼女が飛び出した窓の縁に足を掛ける。

 地上三十階から見下ろす景色に一瞬足が竦んだが、勇気を振り絞って俺も飛び出した。勇気を振り絞るタイミングを間違えているのではないか、と自問しながら。

 すでに麻衣は小さくなっていた。俺も懸命に彼女に追い着こうと羽をばたつかせる。しかし麻衣の近代的なジェット噴射に俺の原始的な羽が追い着けるはずもなく、あっという間に差は開き、ついに麻衣は見えなくなってしまった。麻衣の近代的なジェット噴射の痕跡が、僅かな焦げ臭さとして残留している。手入れを怠っていたので、俺の原始的な羽からノミが這い出てきて、口々に言った。

「あーあ、振られちゃった」「もったいない」「可愛い娘だったのに」「ホント、もったいない」「逃げられてやんの」「だから早く抱いておけって言ったんだ」「あぁ、もったいない」

「うるさい、うるさい、うるさい!」俺は空を飛ぶための羽ばたきを、ノミを振り落すための羽ばたきに切り替えた。ノミたちは各々の悲鳴を上げながら落下していく。「もう、全部この羽が悪いんだ!」

「本当によろしいのですか?」羽切り屋は最終確認をした。

「ああ、いいんだ」俺は頷く。「全部、この羽が悪い。ほら、悟空だって尻尾を切っただろう」

「なるほど、つまり、あなたも羽をお切りになられて、サルには戻らないという決意表明とされるわけですね?」

「そうだ。もっとストイックになろうと思って」俺は羽切り屋に背中を差し出す。「さあ、早く切ってくれ」

「では」言うが早く、羽切り屋はじょきん、じょきんと俺の翼を左右ともに根元から切り落としてしまった。

 鋏を腰のホルスターに戻してから、羽切り屋は床に落ちた今や俺の一部でなくなった羽を拾い上げ、まじまじと見つめる。

「これは、良い羽ですね。是非買い取らせていただけませんか?」

「いくらでです?」もともと捨てるつもりだったので、買い取ってもらえるならいくらでもよかったのだが、一応きいてみた。

「二十万円でどうでしょうか」

「えっ」俺は思わず目を丸くして仰け反った。「そんなに!」

「いえいえ、もしもあなたに羽鑑定の知識が少しでもおありでしたら、百万円でも安いと仰るでしょう。しかし、あなたの反応を見るに二十万円で充分のようですね」

「ええ、まあ……」こんなことならあんなに驚いたりせず、冷静に手を顎にでも持って行って「ほう」とか呟いておけばよかった。

 しかしまあ、二十万円でも今の俺にとっては大金に違いなかった。

「では、二十万円で譲りましょう」

「ありがとうございます」一礼の後、羽切り屋は俺から切り落とした羽を大事そうに抱えると「あ、そうそう」と思い出したように言った。「良い羽を安く譲っていただいたお礼に、あなたの望みを叶えましょう」

 女子高生の手元で、俺はぶら下がっていた。女子高生が操作している携帯電話。その角から伸びる黒い紐状のゴム。そのゴムが俺の頭のてっぺんから生えた銀色の輪を通って、俺を繋いでいる。

 どうやらあの羽切り屋はストイックとストラップを聞き間違えたらしい。

 俺は呆れて溜息を漏らしたが、スクラップと聞き間違えられるよりはましだな、と現状を好意的に見ることにした。もしもスクラップと聞き間違えられようものなら、廃車が次々とスクラップにされていく。足で空缶を踏み潰すのと同じ要領だ。規模が多少大きいだけである。仰々しい機械が屋根のレーンに沿って移動し、真下の廃車を押しつぶすのだ。俺は手元のレバーを操作して、機械を移動させる。レーンに沿って機械は工場内を移動し、工場外に出て、街中を進み、俺のよく知る家の真上に辿り着いた。モニター横のボタンを操作すると、その家の中が映し出される。

 麻衣の家だ。室内で彼女は俺の知らない男と二人きりだった。

「そうか、あの男のために俺と別れたんだなぁ」俺は食い入るように画面を見つめながら呟く。「ええい、こうしてやる」

 レバー横のボタンを押すと、麻衣の家の真上でスタンバイしていたスクラップ機械が真下に下がり、彼女の家を押しつぶした。

 潰れた麻衣の家はストラップとしてリサイクルされたらしく、今俺の隣で同じように女子高生の携帯電話に繋がれている。女子高生は携帯の画面を見つめたまま何やらぶつぶつと低い声でしきりに何かを呟いている。

「お待たせ」そう言って現れたのは、先ほどスクラップ工場のモニターでみた、麻衣の家にいた知らない男だった。

「もう、遅いよぅ」女子高生の、甘く絡みつくような高い声。

 まさかこの男、麻衣と仲良くしておきながらこの女子高生にも手を出しているのか。なんて見境のない男だ。こうはなりたくない。

 それにしても、まさか麻衣の家から脱出していたとは。てっきり麻衣の家ごと潰したつもりになっていたのに。結局麻衣しか潰せなかったのか。

 気になって隣でぶら下がっている麻衣の家を見ると、何かが目の前を通り過ぎた。あまりに速くて目が追い着かなかったが、ようやく視認する。麻衣だ。彼女も家がスクラップにされる前に脱出していたのだ。あの近代的なジェット噴射で。麻衣もたった今あの男が女子高生にも手を出していることに気づいたようで、何やら怒っているようだった。今なら麻衣とよりを戻せるかもしれない。俺は急いで麻衣に近づこうとしたが、頭から繋がれている紐状のゴムが邪魔で携帯電話から離れられなかった。女子高生の頭髪からノミが這い出てきて、女子高生の身体を伝って俺のところまでやってきた。

「アハハ、ストラップになってやんの」「彼女に振られてストラップ」「頭から何か生えてる」「あれでゴムを繋いでるんだ」「可哀そうに」「うん、可哀そう」「僕らでゴムを切ってやろうぜ」

 そう言うなり、ノミたちは俺を繋いでいる紐状のゴムを噛み切ってくれた。しかし、ぶら下がっていた俺はそのまま落下することになり、洞窟の地面に叩きつけられてしまった。

 幸い叩きつけられた瞬間はまだストラップとしての身体だったらしく、カコンと軽い音がしたのみで、痛みは感じなかった。

 それにしても洞窟とは。羽を切った俺に相応しい場所ではないか。天井付近をふらふら飛んでいたコウモリにきいた通りの道順で進むと、展望台に辿り着いた。

 望遠鏡を覗いてみても、視界は真っ暗。よく見ると、硬化挿入口があった。有料らしい。料金は二十万円。これはどういう示し合せだろうか。ちょうど、原始的な羽を売って得た二十万円があるじゃないか。

 しかし、あくまでも硬化挿入口。俺が持っている二十万円は一万円札二十枚の形をしていたので、自動販売機横の両替機で、すべて百円玉に変えた。何度か大当たりが出たので、結果として、俺の手元には二千十六枚の百円玉がある。二十万千六百円だ。端数の千六百円を、自動販売機に使った。喉が渇いていたからだ。

 自動販売機で買ったサングラスは、なかなか上等なもののようで、望遠鏡を使わなくても隣町まで見えていたのだが、二千枚の百円玉を抱えて降りるのも面倒なので、当初の予定通り、すべて硬化挿入口に入れた。

 街を歩く人々の頭皮に住み着いているノミがはっきり見えるほどに、拡大された映像が目に映る。そんな中、見慣れたノミたちを見つけた。望遠鏡から目を離して、そこを見る。

 あの女子高生だった。あの男と一緒に歩いている。デートだ。その上を、びゅんびゅんと飛び回る何か。もう一度望遠鏡を覗く。やはり、それは麻衣だった。よっぽどあの男に未練があるに違いない。あわよくば、女子高生をどうにかしてでも、あの男と添い遂げようとしている。そうでないと、俺を振って飛び立つ必要はないからだ。

 今度こそ、よく狙いを定めて、ボタンを押す。

 スクラップ機械が、女子高生と男を押し潰した。近代的なジェット噴射で飛んでいた麻衣が止まると、「あれ? 羽はどうしたの?」

「売ったんだ」俺は答える。切ったなんて、言いたくなかった。「二十万円だった」

「そんなに!」麻衣が両手で大袈裟に口元を覆う。

「本当は、もっと価値があったんだって」俺は、原始的な羽が生えていた肩甲骨のあたりを触ってみる。「次に生えたら、百万円以上で売るようにするよ」

「素敵!」麻衣が俺に抱き着いてきた。

 俺も彼女の背中に腕を回す。

「望みは叶いましたか?」羽切り屋がきいてきた。その背中には、俺が売った原始的な羽。

「お似合いですよ」お世辞でなく、俺は言った。少なくとも、俺の背中に生えていた時よりも、ずっと生き生きとしている。

「あなた方こそ、お似合いです」

 それだけ言うと、羽切り屋は、原始的な羽で展望台から飛び立った。

 俺も、麻衣に抱き着いたまま、彼女の近代的なジェット噴射で飛び立った。

 羽がなくても、麻衣がいれば俺は飛べるのだ。

 スクラップ機械は廃車を潰す作業に戻った。

 女子高生はストラップの付いた携帯電話を抱きしめて眠った。

 お喋りなノミたちは住み心地の良い頭皮を探し続けた。

 あの男は押し潰されて重くなった。

 こうして、素晴らしくストイックなストラップは薄くなったスクラップに救われた。