ビルドンブンコ

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美味しいですよね!(うどん)

「天ぷらうどんで!」

 注文を取りに来た店員に、待ってましたと言わんばかりの勢いで先に注文したのは三原楓。

 何を頼むか全く決めていなかった片塰叶花は「私も同じのを」と告げてメニューを閉じた。

「あれ? もしかして、店員さんに注文するだけで緊張してません?」

「まさか……」叶花は閉じたメニューを再び開いて、楓に表情を悟られないようにする。

「どうせ夏休みになってから全く外に出てないんでしょ」

 腰を浮かせてメニューの壁を越えるように叶花の表情を覗き込んでくる楓。その顔からは、今にも「にひひ」という笑い声が漏れてきそうだった。

「否定はしないけど……」叶花は顔を横に向けて、楓の視線を受け止めることを拒んだ。

「まあ、だからこうして引きこもり叶花ちゃんを誘い出してあげたんですけど」楓は乗り出していた身体を椅子に戻す。

「それはどうも」叶花は諦めてメニューを閉じてテーブルの端に立てかけた。「誘い出されたんだ、私」

「ですよ」簡単に頷く楓。

 どうやら楓は誘い出すという言葉を否定的な意味では使っていないらしい。単純に、誘って外に出したという意味で使用しただけか。叶花は一人で納得して深く息を吐いた。

「とりあえず今日は外を楽しみましょー!」楓が胸の前で手を打つ。「まずは腹ごしらえ。叶花ちゃんが手間を惜しんで家で適当に茹でただけのうどんとは一味も二味も違うものが食べれますよ。というか、いつも叶花ちゃんが食べてるのはただの紐状の小麦粉を味付きスープに浸しただけのうどんとは呼べない代物ですから」

「ここのうどんの美味しさを伝えるために私の主食から名前を奪わないで」

「まあ確かにうどんには手抜き料理のイメージもありますが、ここのうどんは本物なんですよ」

「お待たせしました。天ぷらうどん二人前になります」

「うっわ!」席の位置関係の都合で死角から現れる形になった女性店員に、楓が仰天の声を上げる。

 相変わらずリアクションがいちいち大きい。変な目で見られていないか、叶花は周りの客の様子をさっと見回した。見たところ、誰も迷惑そうにこちらを睨んだりはしていない。

「べ、別にここのうどんが手抜きだなんて言ってなくて、今のはこの人がいつも作ってるうどんが手抜きだって話で、真のうどんを食べさせようと思って連れてきたんです」

「はい、大丈夫ですよ。うちのうどんは手抜きじゃなくて手打ちなので」店員の冷静な対応。

「あっ、そうなんですか。すごいですね。うちでも手打ちしてくれればいいのに、なんちゃって。あっはっは」

「それでは、ごゆっくりどうぞ」店員は何食わぬ笑顔のまま、背中を向けて去って行った。

 楓はグラスの水を一気に口へ流し込んだ。

「喋らないという選択肢があることを知った方がいいと思う」叶花は箸立てから割り箸を二本抜いて、一本を楓に差し出す。

「知ってますよ」楓は口を尖らせながら箸を受け取った。「楓ちゃんにも、喋らない時はあります」

「へえ、知らなかった。いつ?」

「食べる時です」割り箸を割る楓。「いただきます」

 勢いよくうどんを啜る楓。口をもぐもぐさせている。静かだ。一連の動作を見届けてから、叶花も割り箸を割った。

「あー、やっぱちゃんとした店で食べるうどんは美味しいですね。何で家で作ると、こう、なんか、微妙な味になるんですかね」

「喋ってるじゃない」

「飲み込んだので、今は食べてないんです」

「小学生か」

「中学生です。ほら、叶花ちゃんも早く食べないと、不味くなりますよ」

「不味くなるって……。伸びるとか冷めるとか、言い方があると思うな」言いつつ、叶花もうどんを口に運ぶ。じっくりと噛む。噛めば噛むほどうどん出汁の味が染み出してくるように感じる。まあ、美味しいことは美味しいが。

「どうですか?」待ちきれなくなったのか、楓から尋ねてきた。

「悪くはないけど、私はちょっと、ダメかも」叶花は一度箸を置く。「食べれなくないけど、ちょっとしんどい」

「しんどい?」

「うん。噛み切れないほどじゃないけど、独特な食感」

「確かにコシは強い方だと思いますけど、そこまでじゃないですよ。もしかして叶花ちゃん、普段まともなもの食べてないから噛む力が弱くなってるんじゃないですか?」

 楓は何の気なしに言ったのだろうが、完全否定できない自分がいることを自覚して、叶花は返す言葉に詰まった。

 ちょうどそのタイミングだったため、どこからか発せられた低い呻き声に、二人とも気づくことができた。

 声のした方を探して見回すと、苦しそうに喉元を押さえている初老の男性客がいた。

「大丈夫ですか!」楓は座っていた椅子が倒れることも気にしない様子で、一直線にその男性客のもとへ駆け寄った。

 叶花も立ち上がったが、椅子は倒さなかったし、声も発さず、立ち上がっただけで、足は一歩も動かなかった。

 楓の声と動きがきっかけで事態に気づいたらしく、他の客も集まってきた。しかし一定の距離を置いていて、楓以上に男性客に近づく人はいない。叶花も含めて。

「うどんが喉に詰まったんだ!」客の誰かが言った。「ヤバいぞ、どうするんだ」別の客の声。

「私が何とかします」そう言ったのは、先ほど天ぷらうどんを運んできた女性店員だった。

「救急車が来るまで下手なことはしない方がいいんじゃないか?」その声は客が集まっているのとは逆の方向からだった。見ると、厨房から男性が顔を覗かせている。うどんを作っている裏方の従業員だろうか。

 しかしその声に構うことなく、女性店員は救助活動を始めた。

 皆、それを見守ることしかできなかった。遠巻きから見ている叶花には、具体的に何をしているのかまでは確認できない。人混みに近づいてまで見たいとも思わなかった。

 やがて小さな歓声が上がった。どうやら男性の喉に詰まっていた麺を吐き出させることに成功したらしい。何人かの客が女性店員に拍手を送っていた。

 しばらくすると、楓が神妙な顔つきで、叶花がいるテーブルに戻ってきた。

「何でそんな顔してるの。助かったみたいでよかったじゃない」言いながら、叶花は椅子に座る。

 楓も元の席に着いた。

「不思議じゃないですか?」

「何が?」何の話か分からなくて叶花は聞き返した。

「不思議ですよね! だって、うどんが喉に詰まって死にそうになったなんて、聞いたことあります?」

「ないけど……」叶花は楓が言いたそうなことを考えてみた。「もしかして、誰かが意図的にあの人の喉にうどんを詰まらせたんじゃないかって、言いたい?」

「言いたい」

「言ってれば」

「誰かが意図的にあの人の喉にうどんを詰まらせたんです!」

「どうやって? 餅ならまだしもうどんよ」

「そっか!」勢いよく立ち上がる楓。「餅のようなうどんだったんですよ。餅を喉に詰まらせて死ぬ人がいるなら、餅のようなうどんを喉に詰まらせて死ぬ人がいてもおかしくありません」

「餅で死ぬのもそもそもおかしな話だと思うけど。それに、餅みたいなうどんがあったとして、飲み込むまで気づかないわけないでしょう」

「えっとですね……」たったまま腕を組んで目を閉じる楓。考えているらしい。「ほら、普通のうどんの中に一本だけ餅みたいなうどんを入れるんです。それも底の方に。普通のうどんだと思って食べてたら突然その餅うどんが現れるんです。でも、急に口に入ってきたから、同じように飲み込んじゃうんですよ」

「じゃあ、うどんを作った人があの人を殺そうとしたってこと?」

「それですよ!」楓は組んでいた腕を解いて、パチンと手を叩いた。「手打ちで作ってるって言ってたじゃないですか。一本しか使ってないならまだ餅うどんが残ってるかもですよ」

 言うが早いが、叶花が止める暇もなく、楓は厨房の方へ駆けて行った。相変わらずの行動力だ。羨ましいと思わなくもない。実際、あの行動力がなければ、喉を詰まらせた男性客の発見と救助が遅れた可能性だってあったのだから。

 心配になって叶花も立ち上がり、厨房に足を向ける。しかし、厨房に辿り着くより先に楓が出てきた。

「ありませんでした……」

「でしょうね」

「こうなったらやけ食いです! ほら、叶花ちゃんも戻って食べましょう。もう不味くなってるかもしれませんけど」楓は叶花を追い越してテーブルに戻った。しかし、楓が座ったその椅子は、さっきまで叶花が座っていた席だった。

「あっ、そっちは私の——」

 叶花が言うより先に、楓はうどんを飲むように口に入れ始める。

「ぶふっ!」三原が口からうどんを吹き出した。「何ですか、この餅みたいなうどん」

「餅?」

「餅」楓は割り箸の先で丼鉢の中を指す。

 片塰は空いている方の席に着いて、もう一方のうどんを口に運んだ。初めに楓が食べていた方だ。

「あ、美味しい」