ビルドンブンコ

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貯まりますよね!(お金)

「お金がなくなりました!」

 玄関を開けると、三原楓は何よりも先にそう言った。せめて一歩でもいいから玄関に足を踏み入れてからにして欲しい。部屋が広くないマンションなので、隣人にも聞こえたんじゃないだろうか。

「大人の常識だから、まだ中学生のあなたは知らないかもしれないけど、お金は使うとなくなるのよ」

 言いながら片塰叶花は玄関に背中を向ける。

「知ってますよう」振り向かなくても口を尖らせた楓の顔は想像できた。「でも使ってないんです」

「なら使ったことを忘れたのね。鍵、閉めといてよ」

「あいあい」

 二人で縦に並んで廊下を抜ける。

「うひゃあ、すっずしーい」リビングに入るなり楓が歓喜の声を上げた。「さすが引きこもり叶花ちゃん。いつでも快適な環境が提供されてますね」

「提供はしてないの。あなたが勝手に入り浸ってるだけ」

「またまたぁ、楓ちゃんが来るのを毎日楽しみにしてるくせにぃ」何度も来ているので慣れたのだろう。喋りながら流れるような動作で荷物を置いて床に座る楓。

「もしかして、夏休みの間毎日来るつもり?」叶花は普段通り、専用の一人がけソファに腰を下ろす。

「いいじゃないですか。どうせ叶花ちゃんは一人でもクーラー効かせるんですから、二人いても一緒ですよ。ああ、楓ちゃんは環境のことを考えてここに来てるのに、叶花ちゃんは自分のことばっかり」

「あなた、弟がいなかった? 家にいるんじゃないの?」

「あんな奴は扇風機でいいんですよ」

「自分のことばっかり」

「ぐう」楓は上半身を倒して床に仰向けの形になった。「でも叶花ちゃん、あいつを連れてきたら恥ずかしがって何も話さなくなるじゃないですか。相手は子供なのに」

「それは、そうだけど……」不利になる気配を感じて、叶花は話題の転換に試みる。そして玄関での会話を思い出した。「で、どういうこと?」

「えっ、何がですか?」楓は仰向けのまま、顔だけをソファにいる叶花に向けた。

「あーあ」叶花はわざとらしくうなだれて見せた。「その調子じゃ、本当に使ったのを忘れてるだけなんじゃないの」

「そうそう、そうなんですよ!」

「そうなんだ」

「そうじゃなくて!」勢いよく上半身を起こすと、楓は床に手をついて身を乗り出した。「貯金箱の中身が消えてたんです。しかも割らないと中身が出せないタイプの貯金箱なんですよ!」

「え?」叶花は思わず聞き返してしまった。

「あっ、興味出てきました?」ニヤつく楓。「割らないと中身を出せない貯金箱の中身が消えてたんです。もちろん、一回割ってそれを直したような跡はありませんでした。ほら、気になりますよ、不思議ですよ、解決しないと気持ち悪いですよう」

 叶花はソファにもたれて天井を数秒見つめた。それから、再び体重を移動させて楓に身体を向ける。

「貯金箱の中身が消えてることに気づいたきっかけは?」

「よし来た!」待ってましたと言わんばかりに楓は胸の前で手を叩いた。「きっかけはですね、昨日何となく貯金箱を持ってみたら、中でお金が動く感じがしなくて、振ってみても全然で、それで隙間から中を覗いてみてもお金が見えなかったんです」

 実際に振る動作と覗く動作を、貯金箱を手に持っているように、ジェスチャを添えて説明する楓。

「中にどれくらい入ってたか覚えてる?」叶花はきいた。

「えっと……」

「最後にお金を入れたのはいつ?」

「えっと……」

 叶花は何も言わず、楓を睨み付けてやった。

「違いますよ!」慌てた様子で楓は両手を振る。「最初から空だったとか、そんなオチじゃないですから! ホントに貯金はしてたんです。そりゃあ、滅多にお金は入れてませんでしたけど、でも、ゼロじゃないです」

「その貯金箱はあなたの弟が自由に触れる場所に置いてた?」

「置いてはいましたけど、でも無理ですよ。貯金箱が割れてないんですから。そりゃ、初めは疑いましたけど」

「つまり、あなたが言う貯金箱の中身が消えたというのは……」叶花は再びソファにもたれて視線を天井へ。そのまま目を閉じ、しばらくしてから口を開く。「貯金箱を振っても中でお金が動く気配がなくて、隙間から覗いてもお金が見えない状態、ということね」

「ということです」

「じゃあ、そのままの状態なんじゃないの?」

「そのままの状態?」

 叶花は深く息を吐いて、改めて楓を見据えた。

「隙間から覗いても見えないところに、振っても動かないようにお金を固定した状態」

「えっと……」人差し指を口元に当てて楓は首を傾げる。何も言わずに待っていると、楓は「あっ」と声を上げて膝を打った。「あいつが接着剤か何か流し込んだんだ!」

 余計な罪を暴いてしまったかもしれないと、まだ見ぬ楓の弟への申し訳なさを感じ、「かもね」と断定を避けて叶花は斜めに頷いた。「実際に接着剤で固定されてるとしても、貯金箱を割らずに確認はできないから、弟と喧嘩したいなら割るしかないわね」

「えぇー、どうすればいいんですか……」頭を抱える楓。

「弟と仲良くする」

「そういうことじゃなくて、あの貯金箱は割れないんです」

「どうして?」楓の断定的な言い方が気になって叶花は尋ねた。

「だって、それくらいの覚悟がないと絶対使っちゃうんですもん」

「自己分析が良くできていて大変よろしい」

「どうしても欲しいものがあった時も、その貯金箱を見ながら、これを割ったら叶花ちゃんとの友情も割れるって、自分に言い聞かせて我慢したんですよ」

「変なジンクス作らないでよ。うっかり落として割れたらどうするの」

「えへへ」何故か嬉しそうな楓。「割りたくないって、叶花ちゃんも思うんですね」

「それは、まあ、そう……、かもね」語尾を濁して叶花は楓から目を逸らした。「でも、いつかは割ることになるんでしょ?」

 どこか皮肉な口調になってしまったのは照れ隠しだと、叶花は自覚していた。

「そうかもしれませんけど、貯金箱がいっぱいになってからの話です」

「そう。まだずっと先の未来の話ってことね」

「そんなことないです。これからは頑張ってもっと貯金するって決めたんですから。まずは電気代を節約するために、毎日ここに遊びに来ますね!」

「そう。頑張って」

 素っ気ない返事になってしまったのは、楓が変なジンクスを貯金箱に結びつけたせいで、どこかでその貯金箱がいっぱいになる未来を望めなくなってしまったからだ。

 楓はその貯金箱をいつか割るのだろうか。

 二人の関係はいつか変わるのだろうか。

 楓はまた床に横になっていた。涼しそうな顔で目を閉じている。

 その涼しそうな顔で、何の躊躇いもなく貯金箱を割る彼女の姿が想像された。

 しばらくすると、楓が寝息を立て始めた。

 それを聞きながら、夏休みの間は何も変わらないだろうと、場当たり的な安心感と共に、叶花も目を閉じるのだった。