ビルドンブンコ

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開きますよね!(扉)

 三原楓の無茶なお願いにはこれまで何度も応えてきたが、今回ばかりは難しい。

 ソファに座っていた片塰叶花は、肘置きに片肘をついて僅かに身体を傾けた姿勢で、側頭部に指を当てる。

「そんな急に言われても……。今日の晩でしょう」

「お願いします!」ソファの横で膝立ちしている楓が、叶花の腕を掴む。「どうしてもお礼がしたいって、お母さんが言ってるんです。もちろん、叶花ちゃんが初対面の人苦手なのは知ってますけど、一生のお願いです!」

「うーん……」叶花は頭を抱えた。

 夏休みの間、ほぼ毎日楓がうちに遊びに来ているのは事実だし、彼女の母親として、そのお礼をしたいと考えるところまでは理解が及ぶ。しかし、そのお礼を突然、今日の晩にしたいという申し出は、いささか非常識ではないだろうか。

「どうして今日なの?」

「叶花ちゃんが実家に帰るらしいって話をしたら、その前に一度ちゃんとお礼をしたいって。だから今日の晩ご飯に呼んできて欲しいって」

「いや、別に今日じゃなくても、まず予定を聞いて都合を合わせるのが自然じゃない? まあ、お呼ばれする私がとやかく言うことじゃないのかもしれないけど」

「でも叶花ちゃん、予定ないですよね。ずっと家にいるんですし」

「まあ、否定はしないけど。でも準備とかあるじゃない」

「何の準備ですか?」

「心の」一音ずつ強調して叶花は発声した。

「そんなのいらないですよ。偉い人と会うわけじゃないんですから。叶花ちゃんが人見知りなのは判ってますし、お母さんもそれで怒ったりしませんよ」

「まあ、あなたの母親ならそうだとは思うけど……。いや、そういう母親だからあなたがそんな性格なんでしょうけど」

 思い立ったら即行動。おそらく楓の性格は母親譲りなのだろう。彼女の母親も、お礼がしたいと思ったから早速その日の晩に実行することにしたということか。

「無理ですか?」楓が物悲しそうな目で見上げてくる。

「うん。お礼をしようとしてくれたっていう気持ちだけ貰っておくわ」

「そうですか……」項垂れる楓。かと思うと、パッと顔をあげた。「そういえば!」

「何?」あまりに唐突なそういえばに、叶花は身構える。どこか不穏な気配。

「この前家に帰ったとき、鍵がなかなか開けられなくて苦戦したんです。何でだと思いますか?」

「え……」突飛な話題転換に、一瞬だけ叶花の頭がフリーズしたが、楓の言葉を脳内でもう一度再生する。「鍵が開けられないって、鍵か鍵穴が変形してたとか、そもそも別の鍵、例えば自転車の鍵で開けようとしてたとか」

「やっぱり凄いです、一瞬でそこまで考えられるなんて! でも残念ハズレです」楓は両腕を胸の前でクロスさせてバツ印を作った。「ヒントはですね、鍵穴が二つあるタイプの玄関なんです」

「ヒントって、これはクイズなの?」

「クイズです。正解できなかったら、今晩うちに来てもらいます」

「は? 何がそういえばよ。全然話題転換してないじゃない」

「嫌なら正解すればいいんですよ。叶花ちゃんなら余裕ですよね!」

「えっと、鍵穴が二つあるんでしょう。つまり、どちらか一方の鍵しかかかってなくて、どの鍵穴を回せばいいか判らなかったとか? 間違って開いてる方を回すと二つとも閉まった状態になるし。余計に訳がわからなくなる」

「おお! さすがですね。正解です」胸の前で両手を打つ楓。

「正解なんだ……。普通、回す方向で開くのか閉まるのか判ると思うけど」

「えっ、そうなんですか?」

 まあ、これまでの楓の言動から推測して、刺した鍵を何も考えず左右にガチャガチャして、動いた方に回しているだけだとしても不思議はない。

「じゃあ、今晩の話は無しってことで」

「まだですよ」澄ました顔で楓から放たれたその一言は、叶花を再度身構えさせた。「二つあるうちの下の鍵だけ閉まってたんですけど、どうして下だけ鍵がかかってたんだと思いますか?」

「下だけ……」叶花は目を閉じて実際の玄関扉をイメージする。

 もしも鍵を二つかけるのが面倒だったなら、普通は上だけではないだろうか。それを逆手に取った防犯か。いや、鍵のかかった家を狙うような泥棒であればピッキングスキルがあるはずだ。鍵が一つでも二つでも、上でも下でも、鍵を開けられる能力がある以上、大きな支障にはならない。しかし楓と性格が似ているであろう母親だ。本気で防犯効果を期待している可能性もある。

 そこまで考えて叶花は「防犯のため」と回答。

「違います」即座に首を横に振る楓。その顔は嬉しそうだ。もっと間違った回答をしてあげようかな、という気にさせられる。「うちに来て直接玄関を見ればすぐに判ると思いますよ」

「あー、そういうことね。私をおびき出すための問題だったんだ」

「ばれちゃあしょうがないです」楓は立ち上がり、目線が叶花より上になる。「じゃあ、行きましょう!」

 楓の視線が別の方を向いたので、叶花もそちらを見る。壁掛け時計の方向だ。もうすぐ夕方。

「今から行けば、ちょうど晩ご飯くらいに着きます。お母さんも弟も、叶花ちゃんを待ってますよ」

「弟ね……」

「あっ!」発言を取り消したいのか、楓が両手で口を覆った。

「もう」叶花はわざと大きめに溜息を吐く。「そうね。どうして下の鍵だけかかってたのか全然判らないし、直接行って確かめるしかないわね」

「えっ、本当ですか!」

「何よそのリアクション。そうして欲しかったんじゃないの?」

「そうですけど、叶花ちゃんが来てくれるなんて、やっぱり嬉しいじゃないですか」

「あそう」そこまで喜ばれると、素直にこちらも嬉しくなる。叶花はソファから立ち上がる。「それじゃあ、行きましょうか」

 二人で廊下を抜けて玄関へ。

 楓が傘立てから傘を抜く。

「雨、降ってるの?」

「降ってないですけど、降りそうです。叶花ちゃんも傘、持って行った方がいいですよ。あっ、そうだ! 降るにしても夜ですし、帰りにうちの傘をあげますよ。この前のお礼です」

 そう言う楓が今持っている傘は、以前に叶花があげたものだ。あれからも使ってくれているらしい。

「じゃあ、そうしようかな」叶花は傘を持たずに家を出ることにした。

 帰りが遅くなった日など、何度か楓を駅まで送ったことがあるので、駅までの道中は慣れた談笑だった。楓が何気ない日常の出来事を話し、叶花が不自然な部分に突っ込みを入れ、楓が混乱する。

 駅に着くと、楓がキョロキョロと周囲を見回し始めた。

「どうしたの?」

「いえ、あの占い師いないかなあと思いまして」

「ああ、そんな話あったわね」あの日も確か、楓を駅まで送ったのだ。駅前にいた占い師に占ってもらおうとしていたのだが、いなくなっていた。どうやら楓はその日以降も機会を窺っていたらしい。「そういえば、何を占ってもらうつもりだったの?」

「それは秘密ですよ」人差し指を口の前で立てる楓。

「そう」叶花は追求しなかった。下手に尋ねて、代わりに自分が占って欲しいことも明かさなければならなくなる展開が、今の叶花にとって好ましくなかったからだ。

 まだ夜と言うには早い時間帯のためか、電車はそこまで混んでおらず、座ることができた。と言っても、楓の家の最寄り駅までは一駅なので、時間にすると五分ほどである。

 電車内では、叶花の口数の方が多かった。弟の話を持ち出すと楓が動揺する様子が面白くて、執拗に弟の話題をけしかけたからだ。その結果、最近は楓も姉としてできるだけ弟と仲良くしようと頑張っているらしいことや、それに比例してか、弟から変なイタズラをされることも減っているらしいという情報が得られた。

 電車を降りて改札を抜けると、思わず「久しぶりね」という言葉が叶花の口から漏れた。

「二回目ですよね」楓がその言葉に応える。「あの時も、実は叶花ちゃんをうちに招待しようと計画してたんですけど、うどん屋さんでのいざこざですっ飛んじゃいました」

「へえ、あの日も狙われてたんだ、私」

 ちゃんと味わえなかったからもう一度、日を改めてあのうどん屋に行こうという話をしているうちに、目的地に到着した。駅から徒歩十分ほどのマンションだった。

 エントランスを抜けてエレベーターへ。

「何階なの?」

「八階です」

 ボタンを押したのは叶花だった。階数が上昇していくデジタル表示を無言で見つめる時間がおよそ十秒。

 八階に到着し、エレベーターのドアが開く。左右どちらに行けばいいのか叶花は知らないので、楓を先にエレベーターから降りさせる。

「もう玄関扉は見れたから帰ってもいいんだけど」まんまとここまで連れて来られた腹いせに、叶花は少しだけ意地悪な事を言ってみた。

「ええっ!」振り向いた楓の慌てた表情。

「冗談よ」叶花はすぐに前言撤回。「ここまで来て帰るとかないから安心して」

 楓が安堵の息を漏らした。

「ここです」楓は立ち止まり、目の前の玄関扉に手を掛ける。「準備はいいですか? 気持ちの」

「ごめん、ちょっと待って」叶花は楓に歩み寄り、片手を彼女の頭に置く。「ありがとうね」

「えっ?」きょとんとした顔で首を傾げる楓。「何がですか?」

「いろいろ」

 楓の言動でバレバレだったが、実際の玄関を見て確信した。下の鍵しか閉めていなかったのは、彼女の弟が鍵をかけたからだ。もしも鍵を一つしかかけないとすると、手近な上の鍵を閉めることになる。鍵は玄関扉の取手の上と下に一つずつ設置されているため、上の方が手の位置に近いのだ。しかし、まだ小さい子供となれば話は別である。上の鍵を閉めようとすれば、腕を上に伸ばさなければならないだろう。下の鍵を閉める方が楽だ。

 きっと、自分をここまで自然に連れてくるために、楓は日常の中からどうにか、叶花への謎を見つけたのだろう。その心が容易に透けて見えたので、叶花は観念してここまで来た。

 裏を返せば、クイズの答えがわからない振りをすれば、楓の家まで来れる状況を作ってくれたのだ。

 その心意気には感謝するべきだろう。人として。友人として。

「あなたのおかげで、毎日楽しかったわ。だから、ありがとう」楓の頭をそっとひとなでし、叶花は腕を下ろす。

 楓の家族の前では恥ずかしくて言えないと考えると、普段は照れ臭くてとても口に出せないような言葉が、今この場では難なく伝えられた。

「帰ってきたら教えてくださいよ。また毎日遊びに行きますから」何の疑いも抱いていない眼差しで、楓は当たり前のようにそう言った。

「ああ、いや……、うん、そうね」叶花は自身の頬が緩むのを自覚する。「夏休みが終わったら、毎日は無理だと思うけど」

「うちにも遊びに来てくださいね」

「うーん、それは今日次第かな」

 実のところ、実家に戻ってそのまま学校も転校しようと考えていた叶花だったが、楓がいてくれるのであれば、今の高校でもう少し頑張ってみようかな、と思えた。

「うん。いいわよ」叶花は強く頷いた。「心の準備できた」

 楓が扉を開けた。