ビルドンブンコ

趣味で書いた小説を保管する場所

下校中

 ランドセルを背負った女児が、一人で歩幅小さく歩いていた。

 その後ろから徐行運転で黒い車が近づく。

「本庄ミミカちゃんだね」開けた窓に肘をかけるようにして、車から半身を出す形で男は女児に声をかけた。「お母さんから伝言があるんだ」

「え?」女児はまだ小学校低学年。目線は車内の男よりも下になるので、顔を上げなければならなかった。「お母さんから……?」

「そう」男は気の良さそうな顔で頷く。「お母さん忙しいから、おじさんにご飯食べさせてもらいなさいって」

「おじさん?」

「僕のことね」男は右手で自分の顔を指差す。「おじさん、ミミカちゃんのお母さんとお仕事してて、頼まれたんだ」

「ホント?」

「本当だよ」言いながら、男は上着の内ポケットから名刺入れを出して、中から一枚差し出した。「ほら、お母さんと同じ会社だろう?」

「お母さんの会社、知らない」

「うーん、そっか、まいったなぁ」空笑いを交えつつ、男は名刺入れを仕舞う。「ミミカちゃんにご飯を食べさせないと、おじさんが怒られるかもしれないしなぁ」

「おじさんもお母さんに怒られるの?」その言葉は下り調子で、女児の顔も僅かに俯いた。

「そりゃぁ、仕事でポカやらかしたら怒られるさ。ミミカちゃんも、やらかしてるんだね」

「ううん」女児は相変わらず俯いたままだったが、その首を左右に振る動作は、どこか力強いものだった。「ミミカ、ちゃんとしてる。ちゃんとしてるのに、怒られるの……」

「ふうん」トントントンと、車体に人差し指で音を立てる。何事かを考えるようにしてから、男は言った。「例えば、どんな時に怒られるのかな?」

「いつも」女児は即答した。「お母さん、いっつも怒ってる」

「どうして、いつも怒ってるの?」

「ミミカが良い子じゃないから」

 また、男の人差し指がトントントンと音を立てる。

「そんなことないと思うけどなぁ。ちゃんとしてるんでしょ?」

「してるけど……、してるけど、もっとちゃんとしないと、お母さんは許してくれないから……」

「許してくれない、ね」男は独り言のように呟いた。「お母さんとは、よくお喋りする?」

「ううん。大変そうだから」

「まあ、確かに、ミミカちゃんのお母さんは忙しい人だからね。ミミカちゃんは、お母さんとお喋りしたい?」

「うん」と言うものの、女児の頷き方は控えめなものだった。そして、何かを言いたげな顔で目線を斜めにする。

 そんな気配を察して「どうしたの?」と男は問いかけた。

「この前、テストで百点取ったの」

「へえ、凄いじゃないか」

「それでミミカ、お母さんに見せたくて、帰って来るの待ってたの」

「ほう」女児が話しやすいように、男は適度に相槌を挟む。

「帰って来て、百点のテスト見せようと思ったら、なんでこんな時間まで起きてるのって」

「百点取ったことを言う暇もなかった?」

「ううん。テストも見せたけど、そんなのどうでもいいって……」

「それはそれは……」男は言葉を選んでいる様子だった。「ちょっとくらい、褒めてくれてもいいのにね」

「ううん。遅くまで起きてたミミカが悪いの。テストなんて、いつでも見せれるのに……」

「ミミカちゃんは、一人っ子だよね」

「うん」

「例えば妹がいたとしてさ。まだまだ赤ちゃんの妹ね。ヨチヨチ歩きしかできない」

「え……」急に何の話を始めたのか、女児は理解できていない様子だった。

「で、お母さんが仕事に行ってて、家にはミミカちゃんと赤ちゃんの二人だけ。で、赤ちゃんがお昼寝したのを見て、ミミカちゃんは宿題をするために二階の自分の部屋に行く。宿題をしてたら、部屋のドアを叩く音がした」

「怖い話?」

「違うよ。ミミカちゃんは何かと思ってドアを開ける。そしたら、一階にいたはずの赤ちゃんがいたんだ」話が終わったことを伝えるために、男は少し間を置いた。「そしたら、ミミカちゃんはどう思う?」

「びっくりすると思う」

「それは——」

「何してるんです!」二人の後方から高い声。声の主の女性は女児を男の目から隠すように、二人の間に割って入る。「この男の人、知ってる人?」

「知らない人」女児が応える。

 それを聞いた瞬間、女性は男をきっと睨むようにして口を開きかける。

 しかしそれより早く、男の口が動いた。

「この子の担任?」

「いえ、担任ではありませんけど——」

「じゃあ」と、女性が言い終わる前に男は差し込む。「この子の担任に伝えといて」男は女性を睨み返すように見上げる。「もっと子供一人一人とちゃんと向き合った方がいいよ」

 それだけ告げると、男はさっさと窓を閉めてアクセルを踏んだ。

「次は通報しますよ!」

 去って行く車に向かって声を飛ばす女性。その女性の後ろに隠れるようにしながらも、女児は顔を上げて手を振っていた。