ビルドンブンコ

趣味で書いた小説を保管する場所

別れの夜

 夜になって目を覚ますと、正一が荷物整理をしていた。すでに家具は運び出されていて、それ以外の小物類をボストンバッグに詰めている最中のようだ。

「この部屋、出て行っちゃうの?」

 私が起きて来たことに気づいた正一は「うん」と短く頷く。

 否定を期待する一方で、もしかしてという不安もあった。私は「どうして?」と、そして正一の返事を待たずに「私と遊ぶの、嫌になったの?」と、半ば答えを強要するような物言いをしてしまった。

「そんなことないよ」と言う正一の表情はどこか申し訳なさそうだった。

 またか、と思う。

 今まで何人もの人とこの部屋で楽しい時間を過ごしてきたし、みんな初めは私と同じように楽しそうにしていた。けれど、日に日に楽しんでいるのは私だけで、相手はそれに付き合わされて迷惑そうな態度になる。そしてついには出て行ってしまうのだ。

 それでも正一は長く付き合ってくれた方で、私はどこかで、彼はずっと一緒にいてくれると信じていた。

「どうして!」私は声を荒げてしまう。「正一は、私がいないと幸せになれないんだよ。今までも、私のおかげで幸せだったでしょ」

「うん。ありがとう」正一の優しい声。私の好きな声。「君からはたくさんの幸せをもらった。もう十分なほどに。だから、君には他の人を幸せにして欲しい」

「やだ」目線を下げて畳を見つめる。「正一がいい。他の人は幸せにしたくない」

「そんなわがまま言わないで」

「わがままじゃないもん……」私は顔を上げて正一を見据える。「私がわがままだから、嫌になったの?」

 正一より前にこの部屋で一緒に住んでいた人たちと同じように。

 ゆっくりと首を横に振る正一。

「この部屋で一緒にいれば、僕はもっと幸せになれると思う」

「だったら——」

「それじゃ駄目なんだ。僕は君に頼りっぱなしになるし、君のわがままも、その恩を返す形でしか聞いてあげられなくなる」

「それでいいよ! 何が駄目なの? 私が正一を幸せにして、代わりに正一は私と遊んでくれる。何も駄目なところなんてないよ」

「君は僕を幸せにしたいの? それとも僕と遊びたいの?」

 その問いかけに、私は言葉を詰まらせる。

 それを待っていたかのように、正一は荷物を詰め終えたらしいバッグを持って立ち上がった。

「私は……」口を開く。私には、正一を止める手段が言葉しかないから。「好きなの!」

「え?」歩みかけていた正一の足が止まる。

「好き」一度言ってしまうと、吹っ切れたように何度でも言えた。だから何度も言った。「正一が好き。好きだから幸せにしたい。好きだから一緒に遊びたい。好きだから、離れたくない。もう会えなくなるのはやだ!」

 少し驚いたような戸惑いの表情になって「ありがとう」と正一は言った。「君からそんなに好かれてるとは思わなかった」

 正一はバッグから一体のぬいぐるみを出して、しゃがみ込んでそれをそっと床に置き、また立ち上がる。何事かを考えるように手の平を見つめ、諦めたようにその腕を下ろした。そして体を玄関の方に向ける。

「やだ! 待って!」必死になって追いかけようとしたが、正一はもう廊下まで出ている。この部屋に縛られている私は、廊下には出れない。「一緒にいて! ずっと一緒にいてよ!」

「それは無理だ」こちらに振り向くことなく正一は答える。

「私と遊びたくないから?」

 正一は首を横に振る。

「私がわがままだから?」

 玄関を開けながら、正一はまた首を横に振る。

「私が子供だから?」

 首を横に振ることなくそのまま正一は外に出て行ってしまった。

 遅れてバタンと扉の閉まる音。

 出会って、仲良くなって、一緒に遊んで、なのにこうして別れる。

 何度繰り返して来ただろう。

「僕が人間だからだよ」正一の声が玄関扉の向こうから聞こえた気がした。

 すぐにこの部屋には新しい住人がやってくるだろう。

 座敷童がいると噂になっているこの504号室が空き部屋になったとなると、入居を望む声はいくらでも上がるはずだ。

 私は正一が置いて行ったぬいぐるみを拾い上げ、今までの住人が置いて行ったぬいぐるみを祀る神棚の中にそっと加えた。

 いつからぬいぐるみを数えなくなっただろう。