ビルドンブンコ

趣味で書いた小説を保管する場所

こいつが座って俺が立つまで

 今日の日替わりランチはヒレカツ定食だった。

「お疲れ様です」

 二人席の空いていた向かいに腰掛けてきたのは、同じ部署の後輩社員だった。

「お疲れ」

 軽く挨拶して、俺はメインのヒレカツ、その最後の一切れを、口の中に放り込む。

「いやー、気づけばもう今年も終わりですね。先輩は年末年始、どうされるんですか」

「俺は今年も神社かな」

 咀嚼しながら俺は答える。口に食べ物を含んでいるときに話しかけないでもらいたいのだが、この後輩はそういったデリカシーに少々欠ける人間なのだ。仕事はできるので、俺は黙認している。

「やっぱりそうですよね。僕もですよ」後輩は壁に貼られたメニューの方を向きながら口を動かす。「年末年始くらい顔見せないと、親が心配しますからね」

「心配? ずいぶん信仰深い両親なんだな」

「まあ、僕、一人っ子ですからね。いつまで経っても心配なんでしょう」メニューを見ていた目を訝しげに細めると、後輩は俺の方を向いた。「先輩が食べてるのって、何ですか」

「ヒレカツ定食。今日の日替わりだよ」

「なるほど、日替わりですか。通りで、それっぽいのが見つからないと思いましたよ」

 表の入り口に今日の日替わりはヒレカツ定食と書かれた札がかけられていたはずだが、こいつの性格からして、そんなものには目もくれず店に入ったのだろう。水の入ったコップを置きにきた店員に、後輩は俺と同じ日替わりランチを注文した。

「まあ、逆に兄弟がいなくて良かったこともありますけどね」後輩は口に軽く水を含んで唇を濡らす。「人が多いと大変でしょう」

「確かにこの時期は混雑するからな」

「混雑って、そんなに集まるんですか?」

「地元のだから、そこまでじゃないけど、百人はいるんじゃないか」

 さすがに後ろから小銭を投げ入れる輩が現れるほどではないが、毎年長い列の一部となって待たされている。

「そんなに! もしかして先輩のところ、名家なんですか?」

「さあ、どういう歴史があるかは知らないけど、地元ではそれなりに有名だよ」

「じゃあ、親戚の子供もたくさんいるんでしょうね。お金がかかるでしょう」

「お金? まあ、行けば色々欲しがるからな、子供は」

 おみくじやお守りはいいとして、夜店でやたら高い謎のおもちゃをねだられたりする。俺も俺で、年末年始特有のゆったりとした時間の流れと、神社という神聖さを感じる空間に、心と財布の紐が緩くなって、神社に来るのは年に一回この時期だけだし、これくらいいいかと買い与えてしまうのだ。

「いくら入れてます?」

 少し考えて、賽銭の話かと思い至る。

「俺はいつも五円だよ」

「五円!」後輩が目を見開いて驚く。「五円て、五円玉一枚ですか」

「そりゃそうだろ。わざわざ一円玉五枚にする意味もないし」

「それはそうですけど、五円は少ないと思いますよ。僕のところは親戚と相談して千円で統一してますし」

「千円て、千円札を入れるのか」

「もちろん。小銭をじゃらじゃら入れたら不細工ですし」

 俺からすれば賽銭箱に札を入れる方が違和感が強いのだが、俺より一回り若いこいつとは感性が異なるのかもしれない。

「でも千円は、俺からすれば結構な額だよ」

「いやいや、たぶん世間では少ない方ですよ。最近は何万とか普通に入れるところもあるらしいですし。少子化だから一人当たりの金額が高くなってるんですかね」

「ああ、なるほどな」

 不景気だと言いながらも、誰にでも贅沢が許されている今だ。子供の未来を祈って賽銭箱に万札を入れる親がいても不思議ではない。

「いや、それにしても五円て、少な過ぎませんか。僕ら渡す大人としては助かりますけど、子供は怒るんじゃないですか」

「子供なんだから、金額なんて気にしてないよ。小銭を投げ入れるのが楽しいだけで、願い事とかもしてないんじゃないか」

「賽銭? 願い事? すみません、何の話してるんですか」

「何の話って、年末年始、神社に初詣に行く話だろ」

「神社? え、年末年始は実家って言いませんでした?」

「言ってないよ。お前の聞き間違いだろう」

「何だ、もう先輩、早く言ってくださいよ。てっきりお年玉の話かと思いましたよ」

 早く言うも何も、聞き間違えたのはそっちだし、そもそも口に物を入れている時に話しかけてきたのが悪い。どうせ、俺が神社と言ったのをよく聞き取れなかったのに、自分と同じ実家だと決め込んだのだろう。こいつらしい。

 お待たせしました、と店員がその後輩の分のヒレカツ定食を持ってきた。

「ありがとうございます」後輩が小気味良い音で割り箸を割る。「いただきます」

「お先に」

 すでに食べ終えた俺は二人分の伝票を持って席を立つ。